2025 R7年 1月16日 木 歴史博物館 昔の道具展
1.16 岐阜 気温
岐阜(岐阜県)の実況天気(2025年01月16日)
月日 | 01月16日(木) | |||||||
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日の出/入 | 07:01(出) | 17:04(入) | ||||||
時 | 3 | 6 | 9 | 12 | 15 | 18 | 21 | 24 |
天気 | ![]() 曇り | ![]() 晴れ | ![]() 晴れ | ![]() 曇り | ![]() 曇り | ![]() 曇り | ![]() 晴れ | ![]() 晴れ |
雲量 | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
雲底高度 | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
気温(℃) | 朝までの最低気温 -0.5℃ | 最高気温 7.7℃ | ||||||
![]() | ||||||||
1.2 | 0.3 | 3.1 | 6.7 | 6.0 | 5.0 | 4.4 | 1.9 | |
湿度(%) | 80 | 84 | 66 | 48 | 56 | 60 | 66 | 78 |
露点温度(℃) | -1.9 | -2.1 | -2.6 | -3.5 | -2.1 | -2.1 | -1.4 | -1.5 |
3時間降水量 (mm) | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |
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現地気圧(hPa) (変化量) | 1018.2 | 1018.7 | 1019.2 | 1017.7 | 1016.9 | 1017.9 | 1018.1 | 1017.4 |
![]() (+0.3) | ![]() (+0.5) | ![]() (+0.5) | ![]() (-1.5) | ![]() (-0.8) | ![]() (+1.0) | ![]() (+0.2) | ![]() (-0.7) | |
海面気圧(hPa) | 1020.4 | 1020.9 | 1021.4 | 1019.9 | 1019.1 | 1020.1 | 1020.3 | 1019.6 |
風向(16方位) | ![]() 南西 | ![]() 西北西 | ![]() 北 | ![]() 西南西 | ![]() 西 | ![]() 西 | ![]() 西南西 | ![]() 北 |
風速(m/s) | 1 | 3 | 1 | 3 | 4 | 2 | 2 | 1 |
視程(km) | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 |
不快指数 | ![]() 41 | ![]() 40 | ![]() 42 | ![]() 45 | ![]() 45 | ![]() 44 | ![]() 44 | ![]() 41 |
2025年01月16日の天気概況
西日本と東日本は高気圧に覆われた。北日本は冬型が緩んだが、夜は低気圧が近づいた。関東から九州は日中は太平洋側を中心に晴れ間。北海道から北陸は午前は雪の所があり、夜は北海道や東北で雪、北陸で雨や雪。寒気が居座り、最高気温は平年より低かった。
ニュース
https://www.asahi.com/news/daily/0116.html4
横綱・照ノ富士が引退、
17日午後に会見 近年は持病やけがに苦しむ
日本相撲協会は17日、大相撲の一人横綱、照ノ富士(33)=本名・杉野森正山、モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋=の現役引退を発表した。横綱の特権として5年間は親方になれるため、当面は照ノ富士親方として伊勢ケ浜部屋で後進の指導にあたる。同日午後に記者会見を開く。
照ノ富士は両ひざのけがなどで昨年9月の秋場所と11月の九州場所を全休。初場所は3場所ぶりの出場に踏み切ったが、4日目まで2敗を喫し、5日目の16日朝、横綱在位21場所目で13度目となる休場を日本相撲協会に届け出た。師匠の伊勢ケ浜親方が午後に照ノ富士の意向を協会に伝え、協会側も手続きに入った。
照ノ富士はモンゴルの学校から鳥取城北高に編入し、2011年、19歳で角界入りした。192センチ、176キロの体格と馬力を生かした取り口で出世し、23歳で大関昇進。けがや糖尿病で序二段まで落ちたものの幕内復帰すると、21年春場所で3度目となる幕内優勝を遂げて大関に返り咲いた。同年名古屋場所後、73代横綱に昇進。近年は一人横綱として角界を引っ張ってきた。
幕内在位52場所で通算366勝207敗197休、優勝10回。三賞は殊勲賞3度、敢闘賞3度、技能賞3度。21年8月に日本国籍を取得した。
両陛下が神戸訪問、被災者いたわる 復興願う楽団の演奏も
天皇、皇后両陛下は16日、阪神・淡路大震災から30年の追悼式典に出席するため、神戸市を訪問した。滞在は17日まで。この日は、兵庫県立兵庫津ミュージアムで震災特別展示を見学した後、地元の震災経験者ら4人と懇談した。
震災当時、理容室を営んでいた高(たか)四代(よんだい)さん(77)は、天皇陛下から一番大変だったことを聞かれ、約3カ月間、日中は理容室、夜間は避難所の警備で、店と避難所の往復を続けたことを伝えた。皇后さまは「たくさんの人が助けられた」といたわった。
復興後のまちづくりに向けてNPOの理事長として音楽祭など様々なイベントを企画してきた高さんは、両陛下がねぎらってくれたことについて、「私の生涯の宝物です」と声を詰まらせた。
懇談の後、両陛下は、ドラム缶の打楽器「スチールパン」を使う楽団「ファンタスティックス」の演奏を笑顔で聴いた。震災で店を失った商店街の店主らが復興を願って結成した楽団で、宮城県などの被災地でも演奏をしてきたという。天皇陛下は「素晴らしい演奏」とたたえた。17日は追悼式典に出席する。
愛犬とふれあいながら新幹線で旅行 JR東海が東京―新大阪で試行
JR東海は3月、東海道新幹線の車内でケージから出した愛犬とふれあいながら旅行できる特別列車「わんわんエクスプレス」を運行する。飼い主からの要望を聞いたペットサロン「ソプラ銀座」(東京)と連携し、試行する。
3月9日の「のぞみ421号」(東京・午後4時18分発、新大阪・午後6時45分着)の16号車で実施する。JR東海が新幹線の需要喚起策として販売している「貸切(かしきり)車両パッケージ」を活用。愛犬は、乗降時はケージに入れて運び、新幹線が走行する一定の時間、ケージから出すことができる。
JR東海によると、愛犬と一緒に乗車する飼い主からは「乗車中に少しでも息抜きさせたい」という声があるという。
車内では、制帽姿の愛犬の写真撮影や、ドッグトレーナーによる講義を受けることもできる。愛犬用のネックストラップやおやつ、飼い主用のハンドタオルのプレゼント付き。
「愛犬1匹・飼い主1人」「愛犬1匹・飼い主2人」が、申し込み順で各13組乗車できる。料金は飼い主1人が5万9千円、2人が11万4千円。申し込みはJTBのサイトから。
関ケ原の戦いから425年 井伊家の彦根市と島津家の鹿児島市が協定
関ケ原の戦い(1600年)で東西にわかれ、相まみえた井伊家と島津家。地元の滋賀県彦根市と鹿児島市が16日、交流連携協定を結んだ。合戦から425年の節目に両家の子孫が立ち会い、お互いの理解や友情を深めることを誓い合った。
彦根市によると、関ケ原の戦い後、徳川家康の重臣・井伊直政が徳川家と島津家の和睦を仲立ちしたとされる。その後の江戸時代、井伊家は彦根藩、島津家は薩摩藩を治め、一度も国替えがなかった。
幕末の桜田門外の変(1860年)では、彦根藩主で大老の井伊直弼(なおすけ)が尊皇攘夷(じょうい)派の水戸浪士らに襲われた。この中にいた薩摩浪士の有村次左衛門(じざえもん)が直弼の首を切ったとされる。
転落寸前で助かったバス 運転手が語る大震災の瞬間「腹をくくった」
1995年1月17日早朝、兵庫県西宮市の阪神高速道路を走る夜行バスに、交代要員の運転手として乗っていた。激しい揺れで目の前の高架が崩れ落ち、死を覚悟した。安井義政さん(63)=京都市下京区=は、あの瞬間を鮮明に覚えている。
バブル経済は90年代前半に崩壊したが、スキー人気は続いていた。安井さんは帝産観光バス(本社・東京)の運転手になって2年目。京都支店を拠点に、スキー客を乗せて関西と長野県のゲレンデをせわしなく行き来していた。
1月16日、安井さんは長野県の野沢温泉スキー場にいた。午後6時過ぎ、乗客40人余りを乗せ、当時50代の運転手と一緒に関西に発った。3連休の最終日で車内はほぼ埋まっていた。
大雪で行程は遅れがちだったが、バスは17日早朝、ほぼ定刻通りに関西に入った。ほとんどの乗客はJR京都駅前や大阪・梅田で下車。残った20代の女性客3人を乗せて、最後の目的地、神戸・三宮を目指していた。
高架が続く阪神高速神戸線に入った。安井さんは、運転する先輩の隣に座っていた。窓の外はまだ暗い。
午前5時46分、フラッシュをたいたようなまぶしい光に襲われた。激しい横揺れと縦揺れがやってきた。何秒続いたかは覚えていない。とにかく長かった。バスの屋根に積もっていた雪が一気に落ちた。
「やっちゃん、ブレーキ利かへんわ」
激しく揺れる車内で、フットブレーキを必死に踏みながら先輩は声を上げた。
目の前にあったはずの高速道路は落下し、消えていた。対向車線を走っていたトラックが、道路の割れ目から落ち、地上で火柱を上げていた。
このバスもこのまま落ちていくのか。楽しかったこと、悲しかったこと。それまでの人生が頭をよぎった。
「落ちて死ぬと思って腹をくくった。もう最期やなと」
地面にぶつかる直前まで見届けようと、目を見開いた。
次の瞬間、バスは運転席と前輪部が宙に浮いた状態で止まった。何が起きているのか分からなかった。直前まで眠っていた乗客からは「事故でもしはったんですか」と声をかけられた。
阪神高速の別の場所にいた同僚のバス運転手の叫び声が無線から聞こえてきた。「緊急事態発生、阪神高速落下」。ようやく地震が起きたと気付いた。
安全を確保するため、安井さんと先輩は乗客3人を誘導しながら、バス後方の非常扉から降りた。余震が続くなか、高速道路を歩き、非常階段で地上に下りた。
「あってはならないことが起きている。この光景をとどめておきたい」
安井さんは近くのコンビニで使い切りカメラを買い、高架下からバスの写真を撮った。上空に大きくはみ出した車体を見て、「ようこんなところで止まったな」と改めて思った。
震災後も帝産観光バスで運転手として働くことにした。ただ、震災から数年はトラウマが続いた。高架の上を走行中は、また揺れているという錯覚に何度も襲われた。「ここで地震があったら、次は助からないのでは」と不安を感じることもあった。
一方で、復興していく神戸を見て、「多くのボランティアのおかげ。自分も被災地のために役に立ちたい」と思うようになった。
2011年の東日本大震災や16年の熊本地震では社長に頼み込み、同僚とバスでボランティアに出かけた。24年の元日に起きた能登半島地震でも、被災地の石川県志賀町で同僚と蔵の片付けを手伝った。
あれから30年。阪神・淡路大震災を知らない若い運転手が増えた。被災体験を自ら伝えることはないが、「震災のこと、ちょっと聞きたいんですけど」と言う後輩には、当時のことを詳しく話すことにしている。
「災害はいつ起きるかわからない。今後、何があっても乗客の安全を一番に確保しないといけない」
奇跡的に助かった喜びと責任を感じながら、これからもバスを運転するつもりだ。
ひまわり育て、ひざつき対話 皇室と被災者の30年
阪神・淡路大震災から30年となる今月16~17日、天皇、皇后両陛下が神戸市を訪れる。両陛下や皇族方は折々に現地に足を運び、被災者と心を通わせてきた。
「大事に育てさせてもらっています」
震災から15年がたった2010年1月17日。菊地いつかさん(45)は神戸市を訪れた皇太子ご夫妻(現在の天皇、皇后両陛下)にそう声をかけられた。菊地さんは「毎年種を取って植えてくれているなんて」と驚いた。
震災で同市にあった自宅が倒壊し、妹の加藤はるかさん(当時11)が犠牲になった。その年の夏、自宅跡地にひまわりが咲き、復興の象徴として各地でひまわりを育てる動きが広がった。
震災10年の追悼式典(05年1月)の際、天皇、皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)にも遺族代表から種が贈られていた。
皇居では毎夏、一般公開されている皇居・東御苑できれいな花を咲かせ、19年には平成最後となる歌会始の儀で天皇陛下が「はるかのひまわり」を題材にした歌を披露した。人々の関心が薄れる度に、皇室の活動で注目された。「心から思ってくれていたんだ」とうれしかった。
雑学
1月16日は何の日?
禁酒の日
1920(大正9)年1月16日にアメリカで
が実施されたことにちなんで日本でも記念日に制定されております。
当時、清教徒の影響が強かったアメリカではアルコールに対する強い批判があり、
されました。
が、
- 密造酒の蔓延
- 密造酒を飲むことによる健康問題
- アル・カポネを始めとする密売にかかわるギャングの出現
をはじめ禁酒をすることで多くの逆効果を招いてしまう…こととなり、1933(昭和8)年には禁酒法自体が廃止されております。
囲炉裏の日
囲炉裏愛好家たちが【い(1)い(1)ろ(6)「良い炉」】の語呂合わせにちなんで1月16日に記念日を制定しております。
囲炉裏は
のことで日本の伝統的な家屋ではよく見かけられておりました。
囲炉裏には
- 床暖房
- 調理
- 照明
を含むいろいろな機能があり、地域によっては
- 比多岐
- 地火炉
とも呼ばれております。
そんな
との願いが記念日には込められております。
念仏の口開け
との言い伝えがあり、12月16日の念仏の口止めから1ヶ月間は
慣習が踏襲されております。
そのため例年1月16日は
とされていることから念仏の口開けと呼ばれております。
地域によっては
- 仏の口明け
- 仏正月
といった呼び方もあり、
となっております。
他にもある1月16日の記念日
行事に関する1月16日の何の日?
閻魔参り / 閻魔賽日
仏教では
- 1月16日
- 7月16日
を閻魔参りまたは閻魔賽日といい、
とされております。
やぶ入り
1月16日は閻魔参りに当たるため、商店に奉公している人や嫁入りした娘が休みをもらって親元に帰ることができた日とされており、特に江戸時代には
ことが許されておりした。
…などなど
語呂合わせに関する1月16日の記念日
ヒーローの日
との願いから広告業界大手の株式会社電通が【ヒ(1)ー(1)ロー(6)】の語呂合わせにちなんで1月16日に記念日を制定しております。
…などなど
1月16日にあった出来事
日本初のアイススケート場がオープン
1876(明治9)年1月16日、日本初のアイススケート場が神奈川県横浜市にオープンしました。
青木安兵衛氏が横浜港近くにあった自らの水田をスケートリンクにしたもので、オープン当初は
の名称で開場しておりました。
日本初となるアイススケート場がオープンしたことは当時の新聞でも大々的に伝えられ、多くの人が訪れたものの
- スケート専用靴への履き替え
- 屋外だったことによる気温の変化
- 氷の厚さが足りない
といった諸問題や事故も多く同場所での長期的な経営は難しかったものの、全国的にスケートが普及していく契機となりました。
大倉山シャンツェがオープン
1932(昭和7)年1月16日、北海道札幌市に大倉山シャンツェが開場しました。
ホテル・オークラの創業者 大倉喜七郎男爵が、秩父宮雍仁親王の口添えもあり自ら私財を投じてスキージャンプ場を建設。
大倉山シャンツェ初の公式競技
が開場と同年に開催されております。
また、大改修を経た後の1972(昭和47)年には、日本初となる冬季五輪
のスキージャンプ会場としても利用されております。
現在でも多くのスキージャンプ大会が季節を問わず開催されているほか、大倉山シャンツェの周辺には
- 展望台ラウンジ
- 大倉山クリスタルハウス
- 札幌ウィンタースポーツミュージアム
といった施設もあり、
となっております。
他にもある1月16日の出来事
- 1395年
旧暦:応永元年12月17日
足利義持が
室町幕府 第4大将軍
に就任。
- 1707(宝永4)年
イギリスの前身であり基礎となる
が成立。グレートブリテン王国 - 1962(昭和37)年
当時の建設省が全国の主要国道に
を決定。ガードレールの設置 - 1969(昭和44)年
ソ連(当時)の宇宙船
- ソユーズ4号
- ソユーズ5号
の2機が初の有人宇宙船ドッキングに成功。
- 1986(昭和61)年
インターネットに関する標準化団体
が設立。IETF 表記:
Internet Engineering Task Force語訳:
インターネット技術特別調査委員会
…などなど
1月16日の誕生日占い
1月16日生まれの人の性格や特徴は、代表的な占いだと下記のように言われております。
星座 :やぎ座
守護星:土星
自然素:土
色 :黒
性格 :
家族想い
直感が鋭い
人付き合いが上手
結構多趣味
現実的な恋愛を好む傾向あり
周りに誤解されやすい態度を取りがち
極度の心配性
不平不満を持ち続ける傾向あり
ちょっと無責任
愛嬌がある
洞察力に富んでいる
あくまで参考までに。。
1月16日生まれの有名人
※ 以下、敬称略
鍋島直正
- 1815年1月16日
- 旧暦:文化11年12月7日
- 大名
- 第10代佐賀藩主
- 佐賀の七賢人のひとり
井上馨
- 1836年1月16日
- 旧暦:天保6年11月28日
- 長州藩士
- 政治家
アンドレ・ミシュラン
- 1853年1月16日
- 実業家
- ミシュランタイヤ創業者
葛西善蔵
- 1887年1月16日
- 小説家
- 椎の若葉ほか
- 私小説の神様と称された人物
伊藤整
- 1905年1月16日
- 小説家
- 氾濫
- 変容ほか
今日規汰代
* 今喜多代
- 1926年1月16日
- 漫才師
神山繁
- 1929年1月16日
- 俳優
須田哲夫
- 1948年1月16日
- アナウンサー
堀内恒夫
- 1948年1月16日
- プロ野球選手
- 指導者
山田正紀
- 1950年1月16日
- 小説家
- 神狩りほか
池上季実子
- 1959年1月16日
- 俳優
ダンディ坂野
- 1967年1月16日
- 漫談家
木下隆行
- 1972年1月16日
- お笑いタレント
- TKO
田村英里子
- 1973年1月16日
- 歌手
SHEILA
- 1973年1月16日
- ファッションモデル
- タレント
ケイト・モス
- 1974年1月16日
- ファッションモデル
賀集利樹
- 1979年1月16日
- 俳優
アリーヤ
- 1979年1月16日
- 歌手
イ・ミンギ
- 1985年1月16日
- 俳優
陳内将
- 1988年1月16日
- 俳優
- D-BOYS
南野拓実
- 1995年1月16日
- サッカー選手
- 日本代表
スングァン
- 1998年1月16日
- タレント
- 歌手
- SEVENTEEN
那須雄登
- 2002年1月16日
- タレント
- 俳優
- 歌手
- 美 少年
高橋信
- ?年1月16日
- 声優
日向ハル
- ?年1月16日
- タレント
- 歌手
- フィロソフィーのダンス
150~40年くらい前の「ちょっと昔」の身近な道具を集め、くらしの移り変わりを紹介する展覧会。今年度で28回目の開催となります。まちかどや家のなかなどのコーナーを設定し、ジオラマ風の展示を多く取り入れ、多数の資料によって当時の生活の様子を紹介し、子どもはもちろん家族でも楽しめる展覧会です。
開催概要
会期 | 2023年12月8日(金)~2024年3月10日(日) |
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休館日 | 毎週月曜日(1月8日、2月12日は開館) 12月28日(木)~1月3日(水)、1月9日(火)、2月13日(火) |
開館時間 | 午前9時~午後5時(ただし入館は午後4時30分まで) |
会場 | 岐阜市歴史博物館 1階(特別展示室) |
観覧料 | 高校生以上310円(250円) 小中学生150円(90円) ※( )内は20名以上の団体割引料金。 ※以下の方は観覧料が無料となりますので、①②の方は証明できるものをご提示ください。(ミライロID可) ①岐阜市在住の70歳以上の方 ②身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳、難病に関する医療受給者証の交付を受けている方、及びその介護者1名 ③岐阜市内の小中学生の方 ④家庭の日(12月17日(日)・1月21日(日)、2月18日(日))に入館する中学生以下の方と同伴する家族(高校生以上)の方 |
なんでもや商店
※画像は昨年度の展示風景 会期中の土日祝日のみ、「なんでもや商店」がオープンしています。昔からあるおもちゃをたくさん販売していますので、ぜひお買い求めください!
※ご利用には観覧料が必要
Schanze
意味:ジャンプ台
言語:ドイツ語