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8月1日 岐阜 気温
岐阜(岐阜県)の実況天気(2023年08月01日)
月日 | 08月01日(火) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日の出/入 | 05:01(出) | 18:57(入) | ||||||
時 | 3 | 6 | 9 | 12 | 15 | 18 | 21 | 24 |
天気 | ![]() 曇り | ![]() 曇り | ![]() 晴れ | ![]() 晴れ | --- | ![]() 曇り | ![]() 曇り | ![]() 曇り |
雲量 | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
雲底高度 | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
気温(℃) | 朝までの最低気温 28.5℃ | 最高気温 37.2℃ | ||||||
![]() | ||||||||
29.1 | 28.7 | 31.5 | 35.6 | 36.5 | 33.2 | 30.0 | 27.9 | |
湿度(%) | 72 | 73 | 57 | 47 | 38 | 50 | 61 | 69 |
露点温度(℃) | 23.5 | 23.4 | 22.0 | 22.5 | 19.9 | 21.4 | 21.7 | 21.7 |
3時間降水量 (mm) | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |
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現地気圧(hPa) (変化量) | 1011.0 | 1011.8 | 1011.7 | 1010.5 | 1008.7 | 1009.6 | 1011.8 | 1011.6 |
![]() (---) | ![]() (+0.8) | ![]() (-0.1) | ![]() (-1.2) | ![]() (-1.8) | ![]() (+0.9) | ![]() (+2.2) | ![]() (-0.2) | |
海面気圧(hPa) | 1013.0 | 1013.8 | 1013.7 | 1012.4 | 1010.6 | 1011.5 | 1013.8 | 1013.6 |
風向(16方位) | ![]() 東北東 | ![]() 北東 | ![]() 東 | ![]() 南 | ![]() 南南西 | ![]() 南 | ![]() 東北東 | ![]() 北北東 |
風速(m/s) | 2 | 2 | 2 | 3 | 5 | 6 | 3 | 2 |
視程(km) | 20 | 20 | 20 | 20 | --- | 20 | 20 | 20 |
不快指数 | ![]() 79 | ![]() 78 | ![]() 81 | ![]() 85 | ![]() 84 | ![]() 82 | ![]() 79 | ![]() 77 |
2023年08月01日の天気概況
沖縄本島は台風6号の暴風域に。南城市糸数で最大瞬間風速50.6メートルの猛烈な風。本州付近も大気の状態が不安定で、都心周辺でも雷雲発達。千葉県内で1時間に50ミリ以上の滝のような雨も。西日本は危険な暑さで、大阪府枚方で最高気温39度0分。
愛知・岐阜・三重 2日も危険な暑さ予想 熱中症対策徹底を
愛知・岐阜・三重の3県は1日も気温が上がり、愛知県豊田市と岐阜県揖斐川町で38度を超える危険な暑さとなったほか、多くの地点で猛暑日となりました。
2日も危険な暑さが予想されるため、引き続き熱中症への対策を徹底してください。
気象台によりますと、愛知・岐阜・三重の3県は1日も高気圧に覆われて各地で気温が上がりました。
日中の最高気温は愛知県豊田市で38.5度、岐阜県揖斐川町で38.4度と危険な暑さとなったほか、岐阜県多治見市で37.9度、名古屋市で37.5度、三重県松阪市飯南で36.7度などと各地で猛暑日となりました。
2日も気温が上がり、日中の最高気温は名古屋市や岐阜市、三重県伊賀市で38度、津市で35度などと予想されています。
気象庁と環境省は、2日も熱中症の危険性が極めて高まるとして、愛知・岐阜・三重の3県に「熱中症警戒アラート」を発表しています。
屋外での運動や外出を控え、室内ではエアコンを我慢せず使用し、こまめに水分や塩分を補給するなど引き続き熱中症への対策を徹底してください。
特にお年寄りや乳幼児は熱中症になりやすいため、家族など周りの人たちが気を配るようにしてください。
ニュース
背中を押してくれたあの曲 「櫻坂46」ファン浜西諒が挑んだ初五輪
パリ・オリンピック(五輪)第7日は1日、陸上男子20キロ競歩に浜西諒(24)=サンベルクス=が出場し、1時間20分33秒で18位だった。初の五輪を終え、「緊張はあまりなかった。20キロ通じてこういう舞台を楽しむことはできたかなと思います」。
序盤、先頭集団のペースは1キロ4分超。余裕を持って歩いていたが、15キロ手前付近で後退した。ペースアップに対応しきれなかった。
「新参者にはまだ戦うのが早いっていうか、現実を突きつけられた感じですね」。浜西は冷静に受け止めた。
トップアスリートとしては、異色の経歴の持ち主だ。明大卒業後の2023年、スーパーマーケット事業を展開する「サンベルクス」に一般枠で入社した。現在は埼玉県草加市にある店舗の青果部で週4日勤務し、その合間に練習している。
そして、24歳には「アイドルオタク」というもう一つの顔が。
アイドルグループ「櫻坂46」の大ファン。その中でも推しは、的野美青さん。X(旧ツイッター)のフォロワーの3分の2が「Buddies」と総称される櫻坂46ファンで、五輪に向けて応援をしてもらった。
〝推しの力〟は、この日のレースでも背中を押してくれた。歩いている最中に頭の中で流れていたのは、櫻坂46の楽曲「Anthem time」。ポップな曲調の応援ソングで、ライブではサビの前にファンがジャンプする。
浜西は「(歩きながら)ジャンプしないか心配でした。そこで警告をとられないように」と振り返った。
レース後、今後の目標について「来月のライブに行けるように、なんとか帰国したいと思います」と話し、報道陣を笑わせた。
もちろん、競技でもさらに上を見据えている。
「競技をやっている以上、世界一という目標がある。来年の東京世界陸上の代表権を獲得できるようにトレーニングに励みたい」(辻隆徳)
悠仁さま「花いけバトル」観戦、白熱の展開に拍手送る 岐阜・総文祭
秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さまは1日、岐阜県内で開幕した第48回全国高校総合文化祭の会場をめぐり、高校生らと交流した。
同県大垣市では、即興で花をいけ、作品のバランスやいけ方の丁寧さなどを競う「花いけバトル」を観戦。選手が5分以内の持ち時間で、自分の背丈よりも大きい竹や「枝もの」の花材を花器にダイナミックにいけていく様子を見守った。途中でバランスを崩した花器が倒れるトラブルが起きて選手が涙したり、花材を探して選手が走り回ったりする白熱した展開に、悠仁さまは驚いたり、うなずいたりしながら拍手を送っていた。
試合後には選手とも交流。悠仁さまは「土台(づくり)と花を飾るペースの配分は」などと質問。秋篠宮さまは「(自分も)園芸が趣味なんですけどいいですよね。楽しんでください」などと声を掛けていた。このほか、岐阜市の岐阜県美術館で開かれていた美術・工芸部門の展示会場なども視察した。
岐阜市・柳ケ瀬にある百貨店「岐阜高島屋」が31日、営業を終えた。1977(昭和52)年の開業以来、47年にわたって街のにぎわいに貢献してきた。最終日も多くの買い物客が訪れ、名残を惜しんだ。
■午前9時50分ごろ
「岐阜高島屋がここにあったことが一人でも多くの人の心に残ればと思っています。最後までプロの販売員としてお客様に感謝を伝え、心に残る販売をやっていきましょう」。開店前の朝礼で、和洋菓子売り場の木野村昌士さんは従業員らに、こう呼びかけた。
橋本逸郎店長は放送で「営業終了を発表してから悔しさ、悲しみ、将来への不安など、さまざまな思いを抱きながらも今日まで一緒にがんばってくださったみなさんには、感謝しかありません」とねぎらった。
■午前10時
入り口には開店前から長蛇の列ができた。店によると、約1千人が並んだという。
店側が47年間の感謝を込めて用意したのは大野町産の赤いバラ470本。開店すると、押し寄せた客にバラを入れた手提げ袋を一つずつ手渡した。
■正午過ぎ
岐阜高島屋西側の長良橋通りでは、建物を撮影しようとスマホを向ける人たちがちらほら。東側では、入り口を背景に記念撮影をしていた。
にぎわう店内。地下1階の食品売り場などでは、商品がなくなった棚が目立つ。11階のレストラン街ではラーメン店に列ができていた。
■午後3時
店によると、午後3時時点の入店者は、昨年の7月31日の同時刻の4倍以上。売り上げは3・8倍になったという。
岐阜県は4つ目の“百貨店なし”県に…人気の「北海道物産展」の始まりは?
日本百貨店協会によると、高島屋が撤退することで全国でデパートがない都道府県は4つとなる。既にない山形県、徳島県、2024年1月でなくなる島根県、そして岐阜県の4県だ。

昭和や平成の百貨店には人が溢れていて、その後も様々な取り組みで客足を伸ばしてきた。
特に人気の催事が「北海道物産展」だ。今ではどのデパートでも行われているが、北海道主催のものは、1951年に「高島屋大阪店」が始めた。
高島屋史料館の担当者によると、当時は戦後の混乱期で、北海道のネームバリューもなく、「採算がとれない」と言われながらも始めたという。
歌手の園まりさん死去 80歳
「逢いたくて逢いたくて」などのヒット曲で知られ、「三人娘」のメンバーとしても人気を集めた歌手の園まりさんが先月26日、急性心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。
80歳でした。
園さんは横浜市で生まれ、幼少期からモデルとして活動し、11歳のときに童謡歌手としてデビューしました。
その後、芸能事務所に入り本格的に歌手活動を始め、1962年に同じ事務所の中尾ミエさん、伊東ゆかりさんと結成した「三人娘」が人気を集めて、1963年、「NHK紅白歌合戦」に初めて出場しました。
甘くささやくような歌声が特徴で、ソロ歌手としても「逢いたくて逢いたくて」や「夢は夜ひらく」などのヒット曲を多数発表し、紅白歌合戦には「三人娘」も含めて6回出場しました。
このほか、映画やテレビドラマ、バラエティー番組にも出演するなど、幅広く活躍しました。
日本歌手協会によりますと、園さんは2008年に乳がんを発症して手術を受けましたが、5年前に再発し、治療を続けていたということです。
去年10月に体調を崩して入院し、先月26日、急性心不全のため東京都内の病院で亡くなったということです。
80歳でした。
歌手の園まりさんが亡くなったことを受けて、園さんとともに「三人娘」として活躍した中尾ミエさんと伊東ゆかりさんが追悼のコメントを発表しました。
このうち中尾さんは「ついにこの時が来ました。嫌々組んだ3人娘だったけど結局これが運命だったのね。人生“終わり良ければ全て良し”というけれど、まさにあなたの最期は見事でした。身の回りを全て整理し、最後にゆかりと私で残ったアクセサリーや小物を整理し、その足で病院に行って報告をして、まりちゃんも喜んでくれました。今となっては楽しい思い出をありがとう。落ち着いたらもう少しの間、ゆかりと私を見守ってください」とコメントしています。
また、伊東さんは、「凄く寂しい。淋しい。お見舞いに行った時、コメント考えてねって…。考えられる訳ないじゃない。60年以上のお付き合いで、沢山の思い出がありすぎです。歌手仲間と言うより、心の友、親友です…。もう逢えないのね…。お疲れ様でした」とコメントしています。
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