2024 R6年 6月12日 水
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6月12日 岐阜 ニュース
https://www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/20240618/3080013729.html
飛騨市のベンチャー企業 「空飛ぶクルマ」開発に名乗り
岐阜県飛騨市にある創業2年のベンチャー企業が、次世代の交通手段として期待されている「空飛ぶクルマ」を、2025年大阪・関西万博への出展を目指し開発を進めています。
「空飛ぶクルマ」の開発をしているのは飛騨市のベンチャー企業、白銀技研です。
高山市出身でエンジニアの西洋介社長(39)が、市販の小型ドローンを見たとき感じた「自由に空をとびたい」という夢を実現させたいと、高山市内の工作機械メーカーを辞めておととし、起業しました。
開発が進む「空飛ぶクルマ」は機体の長さと幅が約3メートル50センチ、高さが2メートルあまり、重さが175キロで8枚のプロペラで飛行するいわば「大きなドローン」です。
飛ぶときの速さは最大160キロを可能にしたいということで西社長はふるさとである飛騨地方のように山がちで交通が不便なところでこそ、空飛ぶクルマが役立つと考えています。
西社長は「飛騨地方は災害で道が通れなくなることも多く空飛ぶクルマが役に立つと思う。まっすぐ空を飛べるので、都市部への移動時間の短縮もできると思う」と話していました。
西社長たちは飛騨発の「空飛ぶクルマ」を広く知ってもらうため、2025年の大阪・関西万博への出展を目指しているということで今後は有人での飛行実験の準備を進めることにしています。
【人形を乗せて飛行実験 ”成功”】
西社長たちは6月12日、福島県にあるドローン専門飛行場で開発している空飛ぶクルマに有人飛行を想定し70キロの人形を乗せて飛行させる実験を行いました。
この実験で空飛ぶクルマは約4分間にわたって浮上と着地を繰り返したほか時速15キロほどの速さで飛行できることが確認できたということです。
西社長は「実験が成功して本当にうれしかった。人形は自分と同じ体重で自分が乗れたら気持ちよかっただろうと思う。ゆくゆくは有人フライトを地元の人たちに見てほしい」と話していました。
西社長たちは今後、有人飛行を目指して開発を進めることにしています。
6月12日 雑学
https://netlab.click/todayis/0612#dekigoto
桶狭間の戦い
1560年6月12日、尾張国(現:愛知県の西部)桶狭間で、
織田信長今川義元
による合戦
が起こりました。
旧暦永禄3年5月19日
約2万5千とも言われる大軍を率いていた駿河(現:静岡県の中部あたり)の戦国大名・今川義元が、織田家領だった尾張国を侵攻していた際の出来事で、
し、見事敵将の今川義元を討ち取ることに成功。
当時権勢を誇っていた今川義元を若武将が破ったとあって、桶狭間の戦いでの勝利は
となりました。
また、桶狭間の戦いで織田信長が行った奇襲は日本三大奇襲のひとつにも数えられております。
- 1937(昭和12)年
川端康成氏の小説
『雪国』 が刊行。
- 1979(昭和54)年
元号は政令である旨を定めた
元号法 が公布され即日施行。
- 1979(昭和54)年
元号は政令である旨を定めた
元号法 が公布され即日施行。
- 1979(昭和54)年
タレント誕生日
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沖雅也
- 1952年6月12日
- 俳優
松井秀喜
- 1974年6月12日
- プロ野球選手
- MLB選手
上方落語を代表する落語家で、関西を中心にテレビなどで幅広く活躍した、桂ざこばさんが、ぜんそくのため、12日、大阪 吹田市の自宅で亡くなりました。76歳でした。
桂ざこばさん、本名、関口弘(ひろむ)さんは、昭和22年、大阪市に生まれ、昭和38年に15歳で、のちの人間国宝、三代目桂米朝さんに入門しました。

昭和63年に二代目「桂ざこば」を襲名し、その後も関西を中心にテレビやラジオにも出演し幅広く活動しました。
上方落語協会に所属し、理事や相談役を務めたほか、平成20年には大阪 西成区に寄席の「動楽亭」をみずから設立し、上方落語の振興に尽力しました。
平成29年には文化庁の「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞しています。
平成29年に脳梗塞で入院しましたが、その後復帰して、寄席や落語会を中心に活動し、ことし2月にも高座に上がっていました。
所属する米朝事務所によりますと、ぜんそくのため、12日、吹田市の自宅で亡くなったということです。
76歳でした。
米朝事務所は「我々スタッフにもお気遣いくださる、とても素敵な師匠でした。お世話になった関係者の皆様、応援してくださった皆様に深く感謝します」とコメントしています。
桂米團治さん「何事にも一所懸命」

ざこばさんが師事した桂米朝さんの長男で、弟弟子の桂米團治さんは「私が幼稚園に通い出した時に入門されたのが、ざこば兄さんでした。4歳の私を15歳の少年が面倒みるのですから、さぞかし大変だったことでしょう。ボール投げ、缶けり、ザリガニ捕りなど、思い出はいっぱいあります。私が噺家になってからも、私の考え方がおかしいと思われたときは容赦なく叱ってくださいました。何事にも一所懸命に振る舞われたお兄さん!お兄さんの落語に登場する人物は、どの人も『情』に溢れています。まだまだ追いつけませんが、お兄さんの教えを受け継いでまいります。本当にありがとうございました」とコメントしています。
娘の関口まいさん「急なことで心の整理できていません」

ざこばさんの娘でタレントの関口まいさんは「あまりに急なことで、心の整理はできていません。ファンの皆様と同じように、私も桂ざこばの落語の大ファンで、もうあの落語が聴けなくなるのかと思うと寂しくて仕方ありませんが、お父さんの落語はきっとお弟子さんたちが継いでいってくれることと思います。永年、桂ざこばを応援していただきまして、本当にありがとうございました」とコメントしています。
桂文枝さん「大好きな米朝師匠 枝雀師匠の元に」

落語家の桂文枝さんは「あまりにも突然でした。言葉を失いました。ざこば師匠の大好きな米朝師匠、枝雀師匠の元にいかれるんですね。いろいろとありがとうございました。そんな言葉しか思い浮かびません」とコメントしています。
西川きよしさん「“元気の象徴”というべき存在」

漫才師の西川きよしさんは、「突然の訃報、誠に残念でなりません。泣き虫で頑張り屋さんで、桂米朝師匠の弟子で本当に良かったとよくお話しされておりました。背中にデキモノができたとき、師匠が自ら軟こうを塗ってくださったと、涙を流しながら話してくださり、私ももらい泣きをし、お互いにこれからも頑張ろうな、と約束をしたことを昨日のことのように思い出します。私にとってまさに“元気の象徴”というべき存在でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントしています。
地元の人たちからは死を悼む声が
桂ざこばさんの出身地である大阪市内では、地元の人たちから死を悼む声が聞かれました。
ざこばさんが訪れたことがあるという大阪・北区の飲食店を経営する71歳の男性は、「テレビでは、怒ったり興奮したりすることが多かったと思いますが、店では静かでとても優しい人でした。落語をする中で涙を流すなど感情移入していたのが印象に残っています。残念でことばになりませんが、たくさんのお弟子さんを育てられていい仕事をされたと思います。本当にショックです」と話していました。
大阪・北区で果物店を経営する74歳の男性は「年齢が近かったのでとても驚きました。落語を見たことがありますが、最初から最後まで笑わせてくれました。話術が違います。『なにわ』の落語家として一流で、一生忘れられません」と話していました。
摂津市から訪れていた50代の女性は「テレビでよく見ていたので信じられません。寂しいです。『お笑いをありがとうございます』と声をかけたいです」と話していました。
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