2026 R8年 6月10日 水 歩行者天国の日 記念日 歩行者天国 1973(昭和48)年6月10日に日本で初めて大規模な歩行者天国が実施されたことにちなんで記念日が設けられております。 この時行われた歩行者天国は都内の銀座〜上野まで5.5kmで、当時は 道路 日曜遊歩道 とも呼ばれておりました。
6.10 岐阜 気温
岐阜(岐阜県)の実況天気(2026年06月10日)
| 月日 | 06月10日(水) | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 日の出/入 | 04:37(出) | 19:07(入) | ||||||
| 時 | 3 | 6 | 9 | 12 | 15 | 18 | 21 | 24 |
| 天気 | 曇り | 晴れ | 晴れ | 晴れ | 晴れ | 晴れ | 曇り | 晴れ |
| 雲量 | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| 雲底高度 | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
気温(℃)
| 朝までの最低気温 17.3℃ | 最高気温 29.7℃ | ||||||
![]() | ||||||||
| 17.9 | 18.5 | 23.7 | 27.6 | 27.3 | 26.1 | 21.7 | 19.1 | |
| 湿度(%) | 74 | 69 | 42 | 34 | 38 | 38 | 48 | 63 |
| 露点温度(℃) | 13.2 | 12.7 | 10.1 | 10.4 | 11.8 | 10.7 | 10.2 | 11.9 |
| 3時間降水量 (mm) | ||||||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | |
| 現地気圧(hPa) (変化量) | 1004.0 | 1004.7 | 1003.9 | 1002.5 | 1002.3 | 1003.4 | 1006.5 | 1007.9 |
(-0.3) | (+0.7) | (-0.8) | (-1.4) | (-0.2) | (+1.1) | (+3.1) | (+1.4) | |
| 海面気圧(hPa) | 1006.0 | 1006.7 | 1005.9 | 1004.5 | 1004.3 | 1005.4 | 1008.5 | 1009.9 |
| 風向(16方位) | 西 | 西北西 | 北西 | 西 | 西南西 | 西 | 西 | 西北西 |
| 風速(m/s) | 4 | 3 | 4 | 5 | 7 | 5 | 5 | 2 |
| 視程(km) | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 |
| 不快指数 | 63 | 64 | 67 | 71 | 72 | 70 | 65 | 64 |
2026年06月10日の天気概況
東海以西はよく晴れて気温上昇。三重県桑名や高知は真夏日。関東以北は日が差したものの、気温は低め。東京都心は6月としては20年ぶりに
8日連続で最高気温25度未満。
沖縄は梅雨空で、先島諸島は激しい雨も。
宮古島に一時レベル4土砂災害危険警報。
ニュース
https://www.asahi.com/news/daily/0610.html
雑学
https://netlab.click/todayis/0610
ドリーム号の日
日本初となる夜行高速バス

が1969(昭和44)年6月10日に大阪府~東京都間で運行を開始したことにちなんで
- 高速バス
- 路線バス
- 貸切バス
の各種バス運行事業を行っている西日本ジェイアールバス株式会社とジェイアールバス関東株式会社が記念日を制定しております。
森永ミルクキャラメルが発売

森永製菓からキャラメルの名称で販売されていた同製品が、1914(大正3)年6月10日に商品名を

に変更しリニューアル発売されました。
なか、同社はキャラメル1コ1コを薄い紙で包み複数個のキャラメルを紙箱に入れて販売。
それまでもキャラメル自体は人気だったものの、たくさん持ち運べることに加え

携帯性も話題を呼び爆発的な大ヒット商品となりました。
同製品は世代を超えて今日でも愛され続けており、同社を代表する超ロングランヒット商品のひとつとなっています。
- 1955(昭和30)年
日本電信電話公社の

時報サービス が東京都内で開始。
- 1962(昭和37)年
福井県敦賀市〜南条郡南越前町にまたがる鉄道トンネル

北陸トンネル が開通。
河野洋平 元衆議院議長が死去 89歳
自民党総裁を務めた河野洋平 元衆議院議長が、亡くなりました。89歳でした。
河野洋平氏は、神奈川県平塚市の出身で、父親は農林大臣や建設大臣を務めた河野一郎氏、叔父は参議院議長を務めた河野謙三氏という政治家一家に育ちました。
1967年の衆議院選挙で、父・一郎氏の跡を継ぐ形で、旧神奈川3区から立候補して初当選し、14回連続で当選しました。
この間、1976年に自民党の金権体質を批判して離党し、新自由クラブを結成して、代表に就任しました。
その後、1985年には、自民党と新自由クラブの連立政権だった第2次中曽根第2次改造内閣で、科学技術庁長官として初入閣しました。
翌年には、新自由クラブを解散して自民党に復党し、1992年に、宮沢改造内閣の官房長官に就任しました。
そして、慰安婦問題に対する政府の謝罪と反省を示した、「河野官房長官談話」を発表しました。
また、1993年の衆議院選挙で自民党が敗れ、細川内閣が発足した際、野党・自民党の総裁に就任し、党の立て直しにあたりました。
さらに、当時の細川総理大臣とのトップ会談で、衆議院の小選挙区の定数を300とする小選挙区比例代表並立制の導入を実現させました。
1994年には、自民・社会・さきがけの3党連立政権となった村山内閣で副総理兼外務大臣を務めたほか、1999年には、小渕第2次改造内閣で再び外務大臣に就任しました。
そして、2003年には衆議院議長に就任し、各国の議会との交流などに尽力したほか、2007年の参議院選挙以降、衆参両院で多数派が異なる、いわゆる「ねじれ国会」の中で、法案審議などが円滑に進むよう、与野党間の調整に尽力しました。
河野氏は、衆議院議長を5年半余りにわたって務め、2009年の衆議院選挙には立候補せず、政界を引退しました。
一方、河野氏は、重い肝臓病の治療で、2002年に、長男の河野太郎・元外務大臣から肝臓の一部を移植する生体肝移植の手術を受け、臓器移植の推進にも積極的に取り組みました。
また、河野氏は、憲法9条の改正に慎重な姿勢を示すなど、自民党内では「ハト派の論客」として知られ、中国や韓国との近隣外交を重視した活動に取り組みました。
89歳でした。
高市首相「心よりご冥福をお祈り申し上げる」
高市総理大臣は河野洋平元衆議院議長が亡くなったことについて、午後8時ごろ、旧ツイッターの「X」に投稿しました。
この中で高市総理大臣は「ご逝去の報に接し、深い悲しみとともに、心より哀悼の意を表す。河野先生は、長年にわたりわが国の政治の中枢にあって、国政の発展と議会制民主主義の確立に多大なるご尽力をされた。特に、衆議院議長として長期にわたり重責を担われ、与野党の協調を重んじながら公正かつ円滑な議会運営に尽くされたご功績は今日(こんにち)においても高く評価されている」としています。
そして「自民党総裁として政界再編期の困難な時代に党を率い、政治改革への道筋を模索されたほか、外交分野においても、近隣諸国との信頼関係の構築に努められた。とりわけ歴史問題に真摯(しんし)に向き合い、対話と理解を重んじる姿勢は、わが国の平和外交の礎の一つとして記憶されるべきものだ。その温厚誠実な人柄と卓越した見識は、多くの政治家、国民に深い感銘を与え続けてきた。これまでのご功績に改めて深く敬意を表するとともに、そのご遺徳を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げる」とつづっています。
自民 岸田元首相 「薫陶を賜り多くのことを学ばせていただいた」
自民党の岸田元総理大臣はコメントを発表しました。
この中で、「長きにわたり国政の発展と議会制民主主義の基盤の維持・強化に多大な貢献をされた。とりわけ、外務大臣として九州・沖縄サミットの際の外相会合で議長を務められたことは、私が、伊勢志摩サミットの際に広島での外相会合で議長を務める上で大きな指針となった。私が初当選した時の自民党総裁であり、さまざまな薫陶を賜り、多くのことを学ばせていただいた。深い敬意と感謝を申し上げる」としています。
小沢一郎 元衆院議員「とてもいい方だった 哀悼の意表したい」
河野洋平氏が野党・自民党の総裁だった当時、政権を担っていた新生党の代表幹事を務めた小沢一郎・元衆議院議員はNHKの取材に対し「私が政界に入った時に最初に会った政治家の1人で多少、肌合いは違ったがとてもいい方だった。心から哀悼の意を表したい」と述べました。
大島 元衆議院議長「大きな心の支えだった」
大島 元衆議院議長は、NHKの取材に対し「政治家として信念を貫き通すことの大事さと衆議院議長として公平・公正な議会運営のあり方を指導いただいたことに心から感謝とお礼を申し上げたい」と述べました。
その上で「細川内閣の時、野党の自民党総裁として党再生のために大変なご苦労をいただいた。その姿を思い起こすことが、谷垣総裁の野党自民党時代の執行部として大きな心の支えだった」と振り返りました。
《海外からも》
中国メディア
中国のメディアも日本の報道を引用する形で伝えています。
国営の新華社通信は、河野元衆議院議長が官房長官だった1993年に、慰安婦問題に対する謝罪と反省を示した、「河野官房長官談話」を発表したと伝えました。
また、別のメディアは、河野元衆議院議長が日中両国の友好に長年尽力したと評価したうえで、去年6月に日中友好団体「日本国際貿易促進協会」を率いて中国を訪れた際に、「歴史は忘れてはならないし、ましてや否定してはならない。過去を変えることはできないが、未来は努力によって作り上げられる」と述べたなどと伝えています。
韓国メディア
韓国メディアは10日、河野氏が慰安婦問題に対する日本政府の謝罪と反省を示した「河野官房長官談話」を発表したことや、その評価などを伝えています。
通信社の連合ニュースは河野氏について「憲法9条の改正に慎重な姿勢を示し、代表的なハト派として知られる。韓国や中国など、隣国との関係を重視してきたと評価されている」として、韓国でもよく知られた人物だと紹介しています。
また、有力紙の朝鮮日報は「河野官房長官談話」について「慰安婦問題で韓日関係が急速に冷え込む中で出された談話は、日本政府が責任を公式に認めた点で、両国関係に転機をもたらしたと評価されている」などと報じています。

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