2026 R8年 3月22日  日 日本銀行が完成 日本銀行 建物が未完成ながら業務自体は1882(明治15)年10月10日から執り行わていた日本銀行でしたが、1896(明治29)年3月22日に建物の正式完成を迎えました。

 3.22 岐阜 気温


岐阜(岐阜県)の実況天気(2022年03月22日)

月日03月22日()
日の出/入05:54(出)18:06(入)
3691215182124
天気雨
雨
雨
曇り
曇り
曇り
曇り
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
雲量------------------------
雲底高度------------------------

気温(℃)

気温グラフ凡例

朝までの最低気温 6.2℃最高気温 10.9℃
8.66.76.57.18.89.47.45.2
湿度(%)5380857974555771
露点温度(℃)-0.43.54.23.74.40.8-0.50.4
3時間降水量
(mm)
------------------------
------------------------
現地気圧(hPa)
(変化量)
1018.51017.41017.61017.51015.21014.41015.61016.0
気圧変化量:-0.9 下降後一定、上昇後緩下降
(-0.9)
気圧変化量:-1.1 下降後上昇
(-1.1)
気圧変化量:+0.2 上昇後下降
(+0.2)
気圧変化量:-0.1 一定下降、上昇後下降、下降後急降下
(-0.1)
気圧変化量:-2.3 一定下降、変動下降
(-2.3)
気圧変化量:-0.8 下降後上昇
(-0.8)
気圧変化量:+1.2 上昇後下降
(+1.2)
気圧変化量:+0.4 上昇後下降
(+0.4)
海面気圧(hPa)1020.61019.61019.81019.71017.31016.51017.71018.2
風向(16方位)北
北北東
北北東
北
西北西
西北西
西北西
西北西
北西
北西
北
東北東
東北東
風速(m/s)31223522
視程(km)201092020202020
不快指数48:快適な陽気で、暑さは感じない
48
48:快適な陽気で、暑さは感じない
48
48:快適な陽気で、暑さは感じない
48
49:快適な陽気で、暑さは感じない
49
50:快適な陽気で、暑さは感じない
50
49:快適な陽気で、暑さは感じない
49
47:快適な陽気で、暑さは感じない
47
45:快適な陽気で、暑さは感じない
45

2022年03月22日の天気概況

本州の南岸を進む低気圧の影響で、広い範囲で冷たい雨や雪。仙台や福島でも積雪に。最高気温は全国的に平年より低く、特に関東は凍える寒さ。東京都心の正午の気温は1度9分。天気はミゾレ。冬の寒さに逆戻りするなか、名古屋市で平年より2日早くソメイヨシノが開花。



ニュース


https://www.asahi.com/news/daily/0322.html



雑学

https://netlab.click/todayis/0322



秋田新幹線 開通


<あのころ>秋田新幹線が開業 1997年3月22日

<あのころ>秋田新幹線が開業 1997年3月22日


<あのころ>秋田新幹線が開業 1997年3月22日

2025年03月22日 00時01分

1997(平成9)年3月22日、ミニ新幹線としては山形新幹線に次いで全国で2番目となる秋田新幹線が開業した。秋田発の一番列車は午前6時12分発の東京行き「こまち10号」で、自由席に乗ろうと約150人の徹夜組も出る人気ぶり。出発式では佐々木喜久治・秋田県知事(左から2人目)らがテープカットを行った。



https://www.youtube.com/watch?v=C5r5qfSoqds
動画
写真

〈東北新幹線の歴史〉 在来線の線路を活用して東京と秋田を乗り換えなしでミニ新幹線で結ぶ秋田新幹線が1997年3月22日、開業した。最短3時間49分。東京駅では定刻の午前6時50分、満員の乗客を乗せた一番列車「こまち11号」(写真)がくす玉が割られる中、秋田に向けて出発した





第1回 全日本女子

(時事通信社)

 

女子プロボウリングの歴史的瞬間

1970年3月22日、第1回全日本女子プロボウリング選手権が開催されました。これは、女子プロボウリングが誕生して間もない時期に開催された、記念すべき大会です。

 

中山律子の華麗なる優勝

当時まだ17歳だった中山律子選手が、見事な腕前を披露して初代チャンピオンに輝きました。中山選手は、その後も女子プロボウリング界を牽引する存在となり、多くのファンを魅了しました。

 

女子プロボウリングの飛躍

この大会をきっかけに、女子プロボウリングは人気を博し、多くの選手が誕生しました。華麗な技巧と美貌で、スポーツ界だけでなく、芸能界からも注目を集めました。

 

時代を築いたレジェンドたち

中山律子選手をはじめ、ボウリング界を代表するレジェンドたちが活躍しました。

  • 小谷あゆみ選手
  • 須田開代子選手
  • 森彩子選手

これらの選手たちは、女子プロボウリングの普及に大きく貢献しました。

 

現代の女子プロボウリング

現在では、多くの女子プロボウラーが活躍し、技術の進化とともに競技レベルも向上しています。

 

未来への展望

今後も、女子プロボウリングは多くの人々に夢と感動を与え続け、さらなる発展を遂げていくでしょう。




中山律子 初優勝


女子プロボウリング 中山律子

昭和44年の夏。はじめてボウリング場に連れてってもらった。
楽しかったけれど、どちらかといえば、よく冷えたコカコーラの味のほうが印象に強いな。




中山律子さん・・・群馬県草津町生まれ、鹿児島県育ち。ライセンスNo.2の女子プロ1期生。

史上最強の女子プロと呼ばれ、同期の須田・並木らと共に爆発的なボウリングブームの立役者となった。


        
        1970 花王フェザー さわやか律子さん


通算タイトル33勝の永久シードプロで公認パーフェクト2回。社団法人日本プロボウリング協会(JPBA)会長。ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)会長。


1965年帰郷後、友人に誘われ初めてプレイしたボウリングで85点のスコアを出し、ボウリングの魅力に取り付かれた中山は以後ボウリングの道を歩む。
1966年4月の九州大会で準優勝。1967年11月の全日本オープン選手権・準優勝をきっかけに1968年に東京タワーボウリングセンターにスカウトされて入社。
入社後の1969年6月に第1回女子プロテストが開催され、中山は3日目までトップだったが、終生のライバルとなる須田開代子に最終日に逆転され、結果は2位合格でプロ入りとなる。
須田とはアマチュア時代から面識があったものの、優勝・須田、準優勝・中山のパターンがアマ時代には多く実力的には須田の後塵を拝する事が多かった。


女子プロ誕生、1969年9月に開催された女子プロ誕生記念大会で優勝。1970年3月22日の第1回全日本プロボウリング選手権大会でも優勝、1970年8月21日には府中スターレーンで行われたNET「レディズ・チャレンジボウル」収録中に女子プロ初の公認パーフェクトゲームを達成する。
翌月のボウリング場オープン記念エキジビションでも「未公認」ながらパーフェクトを達成する。当時のTV局は収録したビデオテープを保存せず、一部は廃棄したり消去して再利用したりしていた時代であったため、中山律子の全盛期の映像はこの2件のニュースフィルムを除き殆ど残ってはいない。

また3ゲーム・シリーズ824点の女子世界最高記録も記録した。

TV中継でのパーフェクト達成のインパクトは予想を遥かに超えた社会現象を起こした。に抜群の美貌と人気で、花王フェザーのCM等に出演、一大旋風を巻き起こした。




『女子プロ誕生記念大会』 優勝 (1969.09.23) 
『第1回全日本女子プロボウリング選手権大会』 優勝 (1970.03.21~22) 
『全米オールスター・トーナメント』 初出場9位入賞 (1970.05.23~29) 
『第4回全日本オープンボウリング選手権』 優勝 (1970.11.18~20) 

主な記録
●女子プロ公認初・パーフェクト (1970.08.21) 
●女子ハイ・シリーズ・3ゲーム 世界最高記録824点 (1971.07.15) 
●女子ハイ・シリーズ・6ゲーム 日本最高記録1542点 (1971.07.13) 
●女子ハイ・シリーズ・9ゲーム 日本最高記録2144点 (1971.07.14) 



 伝説のパーフェクトゲームは当時テレビで観ていた!

母の実家が美容室でした。そのお店のテレビで観ていたのです。凄いことが起きたとは思ったけれど、野球の完全試合ほど難しいわけではない・・・という認識だった。
それよりも、いつも中山選手を応援してたので、そっちのほうが単純に嬉しかった^^

中山律子・並木美恵子・須田開代子のどれかが出てる時だけ観ていた。中山選手がイチバン好きでした。



1970年代前半の大ブームに乗って次々に全国各地に建てられたボウリング場は、しかし、ブームが去ると、1980年代以降、これまた次々に閉鎖されていった。
ブームの頃、遥か年配の従兄は、わざわざマイボールまで特注して得意になっていたけれど、そのボール、いま頃どうなっているのだろうか、物置にでも置いたまま忘れてしまったのだろうか。

熱し易く冷め易い国民性といえば、いまの検察大本営発表に迎合した異常報道狂想曲に踊る国民性にもいえることだけど、ボウリングほど需要と供給の歪さが際立ったレジャー産業も珍しいかもね。


ポンドの軽いピンクのボールで1ゲームに2つや3つのストライクは出たけれど、イメージだけ律子さんになりきっても、現実、スコアは110~120くらいだった^^

ボウリングのレーンの後ろのほうに置かれていたエアホッケーのほうが楽しかったかな^^


体重 50k  8020



11:41 岐南発


JR岐阜 12:13

稲沢   12.28


3年ぶりに 稲沢の無線の人に会いに行った



稲沢 15:38

岐阜 のりかえ

岐南 16.38着


20:40 無線


父の命日に ワッフルチョコを供えてたべた



コメント

このブログの人気の投稿

2024 R6年  新年特集

2024 R6年  6月15日 土

2024 R6年 6月20日  木