2026 R8年 3月1日 日 加藤茶と誕生日おなじ
3.1 岐阜 気温
岐阜(岐阜県)の実況天気(2026年03月01日)
| 月日 | 03月01日(日) | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 日の出/入 | 06:23(出) | 17:48(入) | ||||||
| 時 | 3 | 6 | 9 | 12 | 15 | 18 | 21 | 24 |
| 天気 | 晴れ | 晴れ | 晴れ | 晴れ | 晴れ | 晴れ | 晴れ | 曇り |
| 雲量 | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| 雲底高度 | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
気温(℃)
| 朝までの最低気温 5.1℃ | 最高気温 18.3℃ | ||||||
![]() | ||||||||
| 7.3 | 6.0 | 10.1 | 15.1 | 17.4 | 12.4 | 9.4 | 7.8 | |
| 湿度(%) | 60 | 64 | 47 | 33 | 33 | 49 | 62 | 70 |
| 露点温度(℃) | 0.1 | -0.3 | -0.7 | -1.0 | 1.0 | 2.0 | 2.5 | 2.7 |
| 3時間降水量 (mm) | ||||||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | |
| 現地気圧(hPa) (変化量) | 1018.1 | 1018.7 | 1019.9 | 1017.8 | 1015.8 | 1017.6 | 1019.2 | 1019.3 |
(+0.6) | (+0.6) | (+1.2) | (-2.1) | (-2.0) | (+1.8) | (+1.6) | (+0.1) | |
| 海面気圧(hPa) | 1020.3 | 1020.9 | 1022.0 | 1019.9 | 1017.9 | 1019.7 | 1021.3 | 1021.5 |
| 風向(16方位) | 西北西 | 西北西 | 西北西 | 西南西 | 西 | 西 | 西北西 | 西北西 |
| 風速(m/s) | 3 | 2 | 1 | 4 | 5 | 6 | 3 | 2 |
| 視程(km) | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 |
| 不快指数 | 47 | 46 | 50 | 54 | 57 | 53 | 50 | 48 |
2026年03月01日の天気概況
本州は高気圧に覆われ広い範囲で晴れた。暖かい空気が流れ込み、気温も上昇。最高気温は、
高知県の江川崎で22度3分と今年これまでで一番の気温に。
大阪17度4分、名古屋19度7分、東京19度0分と
4月上旬から中旬並み。
東京では今年初めて日照時間が10時間を超えた。
ニュース
https://www.asahi.com/news/daily/0301.html
雑学
1982(昭和57)年3月1日、現:JRの前身にあたる当時の国鉄から普通列車乗り放題の企画乗車券

が発売されました。
- 1911(明治44)年
東京都千代田区に建設された
が開館。
帝国劇場 - 1922(大正11)年
日本初となる
が開局。
アマチュア無線局
3月1日生まれの人の性格や特徴は、代表的な占いだと下記のように言われております。
星座 :うお座
守護星:海王星
自然素:水
色 :緑
性格 :
リーダー的資質がある
割りと楽天家
独立心旺盛
押しの強い相手に弱い傾向あり
結構嫉妬深い
パートナーには自己献身を惜しまない
プライドが高め
慎みが薄い傾向あり
ちょっと高圧的
利己的と捉えられがち
自分の中の信念が強い
努力家
あくまで参考までに。。
3月1日生まれの有名人
※ 以下、敬称略
芥川龍之介
- 1892年3月1日
- 小説家
- 羅生門
- 歯車ほか
- 芥川賞に名を冠す人物
南田洋子
- 1933年3月1日
- 俳優
加藤茶
- 1943年3月1日
- コメディアン
- タレント
- ザ・ドリフターズ
川崎麻世
- 1963年3月1日
- 俳優
- タレント
中山美穂
- 1970年3月1日
- 俳優
- 歌手

敗戦と7コール
7コールの歴史の1ページ目は意外と古く、時は1957年まで遡ります!
元々「J」の全てを手にしていた日本は、敗戦により、1947年のアトランティックシティ無線通信主管庁会議で「JT~JZ」のプリフィクスを失います。
1957年10月、ITU事務総局長に追加のプリフィクスを要求したところ、1958年10月23日に「7J」「8J」が暫定で割り当てられました。
これが、私たち7コールの歴史の始まりです。

JJ1WTL 本林OM提供
その後、1959年のジュネーブ通常無線通信主管庁会議で「7J」「8J」のプリフィクスが日本に正式に割り当てられ、同時に「7K~7N」「8K~8N」が日本に割り当てられ、同年11月1日にITUから各国に向けて通達されました。
現在外国人コールとして知られる「7J」と、記念局コールとして知られる「8J」は、私たち7コールと血のつながった兄弟なのです。
なお、現在はインドネシア(7A-7I)、日本(7J-7N)、イエメン(7O)、レソト(7P)、マラウイ(7Q)、アルジェリア(7R、7T-7Y)、スウェーデン(7S)、サウジアラビア(7Z)の8か国に分割されている「7」ですが、日本と同時に割り当てられたのは、インドネシア、スウェーデンのみです。
日本初の7コール
日本初の7コールは、1990年4月23日に発給された「7K1AAA」でしょうか?
実は、これも意外と歴史が深く、答えは「7K1AAA」の14年前の1976年5月21日、関東電波監理局(現関東総合通信局)から発給された「7J1RL」です。
日本初の7コールである「7J1RL」は、JARL創立50周年記念事業「沖ノ鳥島DXペディション」の記念運用局でした。
発給の翌22日には、JA1HQG 有坂団長が当時の原会長(JARL)から無線局免許状を手渡され、午後1時に日本最南端の沖ノ鳥島へ向けて、第二十共勝丸が東京都中央区の豊海水産埠頭を出航しました。
当時の「7J1」は、沖ノ鳥島を意味する特別なプリフィクスだったのです。
外国人悲願の7Jコール
さて「7J1RL」の次は、7コールでしょうか?
実は外国人コールとして知られる「7Jコール」の方が、4年半も先に発給されています。
電波法に、こんな規定があることをご存じでしょうか?
現在11か国 + CEPTと相互運用協定を結んでいる日本ですが、以前は外国人が日本でアマチュア局を開局することはできませんでした。
制限の厳しい日本の電波法に、当時の在日アメリカ大使であったアマチュア無線家のMeyer氏(W3ACE)が一石を投じ、段階的に規制緩和されていきます。
そして、1985年10月1日、日本初の外国人コールとして「7J1AAA」が発給され、1993年には7Jクラブの開設が認められました。
日本のアマチュア無線最盛期と7コール
ようやく、皆さんおなじみの「いわゆる7コール」まで時代が進みました!
1987年、アマチュア無線界の伝説、映画「私をスキーに連れてって」でアイコムのハンディー機「IC-μ2」が登場。
ポケベルや携帯電話がなかった当時、アマチュア無線があれば、車やスキー場で離れた仲間と連絡できるということが世間に認知され、アマチュア無線の影響がぐんと上がります。
当時のアマチュア無線は、今でいう「Twitter」や「Instagram」のような存在だったのです。
「私スキ」から2年半、まだバブルを忘れられない1990年4月23日「7K1AAA」が関東電気通信監理局(現関東総合通信局)から発給。
ついに、7コールの時代がやってきました!
その後、1995年1月の阪神大震災での活躍もあり、当時のアマチュア無線熱はとどまることを知らず、同年3月には日本のアマチュア局が史上最多の136万局を記録しています。
そんなイケイケなアマチュア無線でしたが、1995年8月24日マイクロソフトが「Windows 95」をリリースしたことを皮切りに変化が訪れます。
1999年2月NTTドコモが「iモード」のサービスを開始、2000年11月当時のJフォン(現ソフトバンクモバイル)が「写メール」対応端末を発売、2001年には「Windows XP」がリリース、「Yahoo! BB」のサービスも始まりました。駅前で無料でモデムを配る姿を覚えている方も多いでしょう。
時代は、通信からコンテンツへ。当時の言葉でいう「マルチメディア」に需要が変わります。
「インスタ」扱いだったアマチュア無線は、ケータイやメールに追いやられ、一気に過去のテクノロジーとなり、開局数はゆるやかに減っていきます。
そして2003年6月20日、7N4XZZが発給されたのを最後に、13年2か月間の7コール時代は、アマチュア無線の最盛期から低迷期をぴったり並走し、幕を閉じます。
現在の7コール
理論上約25万8000局が発給された7コールですが、約24万局が失効・廃局し、2019年末現在は1万7583局となっています。
この数字は、日本の全アマチュア局の4.4%、関東の全アマチュア局の15.2%です。
多くの7仲間がアマチュア無線を去ってしまったことについて、私たちは「通信からコンテンツへ」の変化によるものと考えています。
7コール世代は「電波のおもしろさより通信手段」という層が多かったと考えられます。
しかし、逆の表現をすると、あえて生き残る現役7たちは「アマチュア無線大好き人間」です。
現役7コールの平均年齢は40代と想像され、アマチュア無線界では若手です。
働き盛りのデジタルネイティブ世代が集まり、伝統的なアマチュア無線だけでなく、様々な楽しみ方を積極的に試しています。
まとめ
意外と長い7コールの歴史、いかがでしたでしょうか?
私たち現役7コールは、そんな物語を胸に「世界でひとつのコールサイン」を大切にしています。
7コール年表
| 1957年10月 | 日本、ITUに追加のプリフィクスを要求 |
| 1958年10月23日 | 「7J」「8J」のプリフィクスが日本に暫定で割り当てられる |
| 1958年11月11日 | 日本初の数字シリーズ「8J1AA」が発給される |
| 1959年11月1日 | 「7J」「8J」のプリフィクスが日本に正式に割り当てられ、同時に「7K~7N」「8K~8N」が日本に割り当てられ、ITUから各国に向けて通達される |
| 1976年5月21日 | 日本初の7コール「7J1RL」が発給される JARL創立50周年記念事業「沖ノ鳥島DXペディション」 |
| 1976年5月22日 13時 | 「7J1RL」の無線局免許状を手に、第二十共勝丸が沖ノ鳥島へ向けて豊海水産埠頭を出航 |
| 1985年10月1日 | 「7J1AAA」発給 以後、13年8か月間に渡って外国人向けに7Jコールが発給される |
| 1987年11月21日 | 映画「私をスキーに連れてって」公開 |
| 1990年4月23日 | 「7K1AAA」発給 以後13年2か月間に渡って7コールが発給される |
| 1990年5月1日 | 電信級・電話級アマチュア無線技士が3アマ・4アマに呼称変更 |
| 1990年8月27日 | 「7K1」発給終了 |
| 1990年8月末 | 「7L1」発給開始 |
| 1990年12月19日 | アイコムが大阪証券取引所第2部に上場 |
| 1991年1月ごろ | 「7M1」発給開始 |
| 1991年6月ごろ | 「7N1」発給開始 |
| 1991年8月22日 | JARD設立 |
| 1991年10月14日 | 「7K2」発給開始 |
| 1992年2月ごろ | 「7L2」発給開始 |
| 1992年8月ごろ | 「7M2」発給開始 |
| 1992年12月ごろ | 「7N2」発給開始 |
| 1993年5月ごろ | 「7K3」発給開始 |
| 1993年6月16日 | 電波法が改正され「7Jクラブ」の開設が可能になる |
| 1993年11月ごろ | 「7L3」発給開始 |
| 1993年 | アルインコが大阪証券取引所第2部に上場 |
| 1994年5月ごろ | 「7M3」発給開始 |
| 1994年11月ごろ | 「7N3」発給開始 |
| 1995年3月 | 日本のアマチュア局が136万局を記録 |
| 1995年6月ごろ | 「7K4」発給開始 |
| 1996年4月1日 | 2アマ・3アマ・4アマの操作範囲が拡大、空中線電力が2倍に |
| 1996年5月ごろ | 「7L4」発給開始 |
| 1997年2月24日 | 「ゲストオペレーター制度」スタート |
| 1997年4月1日 | 「旧コールサイン復活制度」スタート |
| 1997年4月ごろ | 「7M4」発給開始 |
| 1998年 | 八重洲無線が日本マランツの通信機部門(スタンダード)を買収 |
| 1999年5月28日 | 外国人向けに発給されてきた7Jコールが終了 以後、日本人と外国人のコールサインに区別がなくなる |
| 1999年5月ごろ | 「7N4」発給開始 |
| 2000年 | 八重洲無線がバーテックススタンダードに商号変更 |
| 2001年1月6日 | 中央省庁再編により「関東電気通信監理局」が「関東総合通信局」に改称 アマチュア無線の主官庁が、郵政省から総務省へ |
| 2001年1月31日 | アイコムが東京証券取引所・大阪証券取引所第1部に上場 |
| 2003年6月20日 | 「7N4XZZ」発給 以後「JA1」の再指定となり、現在「JK1」まで進む |
| 2004年1月 | FCZ研究所がキット開発と販売を中止する |
| 2004年5月3日 | ITUが「@」をモールス符号に追加 |
| 2004年11月 | ミズホ通信が事業縮小し、ピコシリーズを製造中止 |
| 2005年10月1日 | 3アマの試験から電気通信術の実技試験・選抜試験が廃止 |
| 2006年 | アルインコが東京証券取引所第2部に上場 |
| 2007年10月1日 | FCZ研究所が解散する |
| 2008年4月1日 | 「電波利用 電子申請・届出システム Lite」サービス開始 |
| 2008年10月1日 | アマチュア局の電波利用料が、500円から300円に変更される ケンウッドと日本ビクターが経営統合、JVC・ケンウッド・ホールディングスを設立し、ケンウッドは完全子会社となる |
| 2011年8月1日 | JVC・ケンウッド・ホールディングスがJVCケンウッドに商号変更 |
| 2011年10月1日 | 1アマ・2アマの国家試験から電気通信術の実技試験が廃止 ケンウッドがJVCケンウッドに吸収合併される |
| 2011年11月1日 | JARLが一般社団法人に移行する |
| 2012年 | バーテックススタンダードが八重洲無線に商号を再変更 |
| 2012年12月31日 | ミズホ通信が廃業する |
| 2013年12月20日 | 東京ハイパワーが倒産する |
| 2014年1月 | アルインコが東京証券取引所第1部に上場 |
| 2015年7月1日 | 2アマの養成課程講習会(eラーニング)が開始 |
| 2018年2月28日 | 「無線局免許証票」が廃止 |
| 2019年9月12日 | |
| 2019年12月15日 | 7コールアマチュア無線クラブが関東総合通信局に免許される 呼出符号「JS1YEY」 |
| 2020年1月12日 | 史上初(?)の7コールイベント「7コール新年会2020」が盛大に開催され、7コールアマチュア無線クラブが発足する |
| 2020年4月23日 | 7コール発給開始30周年記念日 7コール発給開始30周年記念局「8J1-7CALL」が開局 |
| 2020年8月3日 | 7コールアマチュア無線クラブ体験局「8J1YAB」が免許される |
| 2020年10月11日 | 7コールアマチュア無線クラブ体験局「8J1YAB」が開局 日本初の体験運用者同士のQSO(東京都八王子市→大阪市此花区)が叶う |
笠松町 中日 2軍候補に
ドラゴンズの計画にも名乗り続々…プロ野球『2軍本拠地』に自治体から熱視線 10周年の市が実感する効果と課題

『ナゴヤ球場』の老朽化に伴い移転が決まった、中日ドラゴンズの2軍本拠地。現在、22市町が誘致の意向を示す“争奪戦”となっている。先行したソフトバンクの事例から、球場誘致がもたらす「街おこし」の期待と課題を探った。
■ヒビも目立つほどに老朽化…2030年代前半を目指して移転へ
未来のドラゴンズを担う“若竜”が活躍する2軍戦の舞台になっている『ナゴヤ球場』。1948年からおよそ半世紀、ドラゴンズのホームとして数々の名勝負を見守ってきた「歴史の証人」ともいえるスタジアムだ。
1988年10月7日のヤクルト戦では、”闘将”星野仙一監督が就任2年目で優勝を掴んだ。この日の実況「郭はもう泣いています」はあまりにも有名だ。
1994年10月8日には、同率首位で並んだ巨人の最終戦、いわゆる「10.8決戦」の死闘も。
【動画で見る】ドラゴンズの計画にも名乗り続々…プロ野球『2軍本拠地』に自治体から熱視線 10周年の市が実感する効果と課題

しかし今、至るところで隠し切れない老朽化が。さらに場所も手狭なことから、球団は、2030年代前半を目指して移転することを発表した。
ドラゴンズファン:
「こんな好立地なところはございませんので、移転してほしくないです」
「この球場がなくなるのはさみしい。でも選手の環境を考えると致し方がない。ちょっと複雑な気持ち」

かつて多くの選手たちが訪れた球場近くのラーメン店「竜」の元店主・吉田さんも…。
吉田和雄さん:
「この街はこれがあって繁栄している。中日ドラゴンズがあってね。それだけに、みんなショックなんじゃないですかね」
■移転先を巡って“争奪戦” 22市町が誘致の意向
ファンが寂しがる一方で、期待を寄せているのが「自治体」だ。
球団が新天地を“公募”で決める方針を示したため、相次いで誘致を表明。愛知だけでなく、岐阜や三重も含む22の市と町が誘致の意向を示している。
愛知・蒲郡市 鈴木寿明市長:
「ファンが中日ドラゴンズを愛している。観光とのコラボレーションも期待できる」
岐阜・笠松町 古田聖人町長:
「大きな経済効果、あるいは関係人口・交流人口の増加という、賑わい創出につながるということでは、大きな期待はしています」

その1つ・愛知県小牧市では、小牧市民球場を含むおよそ9万2000平方メートルの総合運動場周辺が候補地で、2026年1月から職員を中心に検討を進めている。
小牧市 市長公室・駒瀬勝利公室長:
「地域経済の活性化だとか、交流人口の増加は当然のことなんですけど、将来を担う子供たちに夢や目標を与えることができる。非常に魅力的な取り組みだと考えています」
球団側が示した現時点での“移転の条件”は、
・メイン球場のほかにサブ球場なども整備できる6万平方メートル以上の敷地
・本拠地のバンテリンドームから車で1時間ほどの立地
などが挙げられていて、詳細な条件や公募の方法は今後発表するとしている。

小牧市 市長公室 駒瀬勝利公室長:
「ドラゴンズの方から実際に具体的な条件が示されていないので分かりませんが、昭和63年に(球場が)オープンして以来、中日ドラゴンズのオープン戦も複数回やっています。そういうところも含めて、中日ドラゴンズと地域の“親和性”があるのではと考えています」
■誘致に手を挙げた愛知県津島市 地権者の思い「地元の活性化を」
津島市に住む遠松清仁さん(51)は、津島市が2軍誘致の候補地として考えているJR関西線・永和駅北側の土地を所有している地権者の1人だ。
地権者の遠松清仁さん:
「津島市が手を挙げている。『120%頑張る』と言っているので、市と地元と一緒になって、誘致をやっていけたらいいと」
遠松さんによると、全体のおよそ8割にあたる、地権者66人の同意が取ることができたという。

この場所は、面積がおよそ“25万平方メートル”で、バンテリンドーム5個分以上の広さがある。さらに、JR永和駅の目の前にあって名古屋駅まで15分などと、利便性もアピールポイントの1つとしている。
地元の商工会や地権者も要望書を提出するなど、街を挙げて準備が進められている。

要望書の提出にも関わった遠松さんの自宅には、歴代のユニフォームや歴史を彩る様々なグッズなど、親子3世代で集めてきたドラゴンズグッズで溢れている。全員が、筋金入りのドラゴンズファンだ。
父・久雄さん(81)
「私は生まれてから中日ファン」
長男・紀仁さん(18)
「僕は気付いたころから中日ファンになっていました」
地権者の1人 村井和博さん(79):
「70年くらいのファン歴」

それだけに、2軍本拠地の誘致に気合が入るが、加えて“地元を活性化してほしい”という思いもある。
地権者の遠松清仁さん:
「もともと津島市が(永和駅北側を)『南の玄関口』として位置づけをしていた。今の時点では玄関と言いながらも扉がない状態。しっかりとした企業に来ていただいて、この地域を活性化してもらうのが津島市への想い。地域が1つになってドラゴンズを一緒に誘致して盛り上げていけたらいい」
■誘致成功は“街の活性化”に繋がるのか 「SB」の例は
2025年に5年ぶりの日本一に輝いた「福岡ソフトバンクホークス」。ソフトバンクも、かつて福岡市内に2軍の本拠地があったが、手狭となったため移転を決意した。
公募で、33自治体の中から、2016年に50キロ離れた福岡県筑後市に移った。
7万平方メートルほどの敷地に、1軍本拠地「みずほPayPayドーム」と同じ大きさの球場を2つ構え、クラブハウスや寮も敷地内に完備されている。

さらに、充実した練習施設が立ち並び、ここから1軍で活躍する選手を何人も送り出してきた。
(リポート)
「特別に室内練習場に入らせてもらっています。まず天井が高いですね。そして広い。ここでもしっかりとした練習が出来そうです」

なぜ筑後市を選んだのか。公募で手が挙がった全ての候補地を見て回った、ソフトバンクの三笠杉彦GMに話を聞いた。
三笠杉彦GM:
「充実したすべての施設が含まれる施設を作りたい、というところでしたので。まずここは、7万平方メートルくらいあるんですかね。それに合うような土地を提供してくれることと、(1軍本拠地から)遠く離れていないというのが条件」
福岡市の「みずほPayPayドーム」からは、車でおよそ1時間。さらに、九州新幹線の駅が目の前にあり、博多駅から30分程という利便性。ソフトバンクが考える条件と合致したことで筑後市に決めたという。

筑後市の市長も、知名度アップに2軍本拠地の存在は大きいと感じている。
西田正治筑後市長:
「『筑後市は福岡県のどの位置にありますか?』というようなことが多かった。2軍本拠地ができて、「ホークスの2軍本拠地がある筑後市です」と。かなり知名度が上がった。その効果が1番大きいと思います」
実際、筑後市は誘致前からの人口減少率が0.5%と、周辺の自治体に比べて圧倒的に低く、“ホークス効果”が伺える。

3月20日に開かれた移転10周年のイベントには、多くのファンが詰めかけた。
斉藤和巳2軍監督:
「2軍球場もすべてではないけど、数多くの球場を見てきましたけど、これだけの規模のファーム施設というのはありません」
筑後市民:
「やっぱり開けましたね、ここ筑後市が。田んぼばっかりだった」
福岡市から来たファン:
「選手も『トレーニング施設がすごい整っていて、筑後がパラダイスだ』と言っていたりとか。若手の育成で入ってきた選手がどんどん活躍してくれているのはすごいうれしい」

しかし、“町おこし”という点では、まだ課題も多いという。
西田正治筑後市長:
「筑後市に来る方も増えてきているけど、残念ながら2軍戦ですから、日帰りで帰られる方が多い。周りのお店もそんなにない。今後は周りの整備について、どう着手していくのかが1番の問題・課題」
選手を大きく育てる2軍本拠地が街おこしに。球団もファンも、そして地域も喜べる、新しい姿を描けるのだろうか。
■阪神と巨人も…2軍の本拠地移転が進む背景は
プロ野球界で2軍の本拠地移転は今、“トレンド”になっている。ソフトバンクのほかにも、阪神と巨人が2025年から2軍本拠地を移転した。阪神は2025年、2軍戦の観客動員が20万人を超えている。
ヤクルトは2軍本拠地を茨城県守谷市への移転を決め、既に工事に入っている。また、ロッテも移転を決めている。

更に日本ハムは、千葉県内にある2軍本拠地を1軍と同じ北海道内に移転させる方針で、道内の3都市に絞り検討を進めているということだ。
球場移転などを研究・分析する尚美学園大学のスポーツマネジメント学科・田中充准教授に、2軍の本拠地移転の背景について話を聞いた。
田中准教授によると、球団にとっては、老朽化が進んで移転場所の確保が必要で、さらに収益化が求められる中で公募することで、球団主導で建設ができるメリットがある、としている。

また自治体にとっても、プロ野球は12球団しかないため2軍でも希少性は高く、誘致できれば地域経済の賑わいを創出できる上、街のシンボルにもなり得る存在であるため、誘致のメリットは大きいとしている。
2026年4月3日放送







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